思い出集めNo.1 幼少から小学校へ

 小さいころは良くおできが出来た。キップパイロールの世話になった。
どうも自分の上が赤んぼのころに亡くなったせいか、男の子としての自分に祖父、祖母
父、母、叔父等皆の愛情が一辺に集中したようだ。その為もあったのか、ひ弱な時代だっ
たと思う。(今でもその傾向があるが・・・)自分が丈夫だと感じはじめたのは、小学校の
上級になってからのような気がする。多分、エルビーを飲むようになってからだ。
乳酸菌飲料が自分の体にぴったりのようである。以来自分の腹には乳酸菌が効く。

 めんこ、ビー玉、石蹴り、蝋石、こま回し、太鼓叩き、紙芝居、都会育ちの自分には
草木や川、海といった自然との遊びがまるで日常には無かった。唯一、思い出となって
いるのは、近くの空き地に一本の木があり、その上にちょっとした腰掛けを作り、風に揺ら
れるのがすごく気持ちがよかったことを覚えている。また二階の手すりに座って、近くの
風呂屋の煙突をぼーと見ていたのも覚えている。また、一方では裕天寺の盆踊り、不動様
の毎月20日のお祭り、それに母親の実家の近くの日枝神社の祭りと、親が好きだったの
か毎年のように連れてゆかれた。

 こんな盆踊りの中でも一番気にいったものは、太鼓。いつのまにか、太鼓を叩くのが
とても上手になっていたそうである。太鼓は確か二つあった。一つは巴の模様の小さな物。
もう一つは比較的大きな太鼓だったと思う。ドラマーにならせようかと話題に上ったらしい。
母親が割り箸の先にボロ布で頭を作り輪ゴムで止めたばちを作ってくれた。興に乗って、
夢中でばちを叩くと、勢いでよくこのボロ布の頭が飛んで、笑い転げたものだ。もしもこの
時代に自分専用のドラムと思い切り叩けるような環境が整えられていたら、きっと腕の良い
天才ドラマー?になっていたに違いない。太鼓は5才の時から始めたと聞いている。
太鼓はこの盆踊り以外に紙芝居屋が「どーん、どーん、かっかっか。」と叩いてきたのが
自分に影響を与えたらしい。紙芝居屋のおじさんの後を自分の首に太鼓を下げて、ついて
回ったらしい。紙芝居屋は太鼓の師匠でもあったのだ。

 ともかく自分の回りは常に人がいて、目まぐるしくいろんなものが動いていた。  これも忘れ
られないが、遊び場であった農林省管轄の米倉庫が表通りを隔てて向こう側にあり、遊びに
夢中だったとみえて、当時だんだんと増えてきた車を無視して通りに飛び出したらしい。
鋭いブレーキの音がしたと思ったら、どこかのおじさんが青い顔をして、すっかり横を向いた
ミゼットの運転席にうずくまっていた。このおじさんが運動神経が鈍く、且つ大型の車両だ
ったら、僕はここにこうしてのんきにしていなかっただろう。    おじさんごめんなさい。

 そうそう駄菓子屋の菓子も食べた。紙芝居からの延長といったところか。水飴、ソース煎餅、
名前は覚えていないが、蛤の貝殻の中に入れた砂糖菓子を木のへらでほじくり出して食べた。
食べ終わると貝殻の割りっこ遊びをする。手が痛かったのを今でもはっきりと覚えている。
駄菓子屋のおばあちゃんから良く買ったものがある。寒天と思われるがガラス棒の中に入った
イチゴ味のものを良くすすった。大きくなり気がついたときには、駄菓子屋はおばあちゃんと
共にどこかに行ってしまった。表通りが車で騒がしくなってきたのと同期してどこかに行って
しまったのだ。

 小学校の低学年。三年生か四年生の頃からか、プラモデルが出始めた。マッチ箱シリーズ
といった丁度マッチ箱の大きさのケースに入った飛行機のプラモデルを集めるのが学校で
はやった。零戦、スピットファイヤー等を作った。仲間と競い合ったものだ。油面小学校の
帰り道にある辻本商店には良く通ったものだ。

 その内、近くのガキ大将が木製の戦車を誇らしげに持ってきた。それからか、何にでも
登ってゆく力強さにほだされて、一挙に戦車のプラモデル集めと落ちていった。戦車に
ついてはどのくらい言えるか?ドイツIII型、パンサー、ヤークトパンサー、タイガー、米国
のM4,M14、
パットン、日本の??式等。大分忘れたけれど沢山作った。シルエットを
見れば判った時代もあつたと思う。戦争映画のテレビ番組を見るとき、なまじ戦車通だった
ものだから、戦後の戦車が登場すると、急に見る気が失せてしまったものだ。一生懸命
作って集めた戦車は、みんなどこに行ったのか?
 また一時期はボート作りに夢中になった。スクリュウの軸と船底との隙間に親父のポマードを
塗り水の進入を防いだが、風呂屋が唯一の遊び場でもあったため、お湯でポマードが解けて
その匂いと共に容赦なく浸水したため、進水式が浸水式となってしまった。この当時、シリ
コンゴムがあったら随分と電池とモータの被害をくいとめることができただろう。
 一方、カンシャク玉や2Bがはやった。使い旧しの戦車の砲塔に2Bを入れて爆発。悦に
いっ
たものだ。丁度物を大切にしなくなった時代に推移していた。昔の木製の戦車の時代から
、いつの間にか物の大切さを忘れた時代に推移していた。自分の心の変遷かもしれないし、
消費は美徳の時代になっていたのかもしれない。

   

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何もなくても、充実していたあの頃
 
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