−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

思い出集めNo.3  清秋じいちゃん

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 清秋じいちゃんは僕の祖父。浅草が好きで、盆栽が好きで、コレクターで、食い道楽で、
建具屋職人で、酒が一滴も飲めなくて、女遊びはまったく??

明治生まれの人は自分の生き方がはっきりしていた気がする。目をつぶると鳥撃ち帽子に革ジャンの姿がはっきりと目に浮かぶ。堺屋太一さんの言葉だが、道楽とは、三つの自由
なくしては語れないそうである。

一つ目は、経済からの自由金を惜しんでいては道楽とは言えない。
二つめは、世間からの自由。人目を気にして、何になるのか。
三つ目は、未来からの自由。これを行うことで、将来俺は・・と考えると自分を縛ることになる。

 まずは盆栽。盆栽なくして彼(そう清秋じい)は語れない。自分が生まれた目黒の家
(自分が22才までいたところ)は車二台がやっととまれる程度の狭い
家。
(今はちっちゃな駐車場となっている)その二階の物干し(今風に言うと
ウッドデッキか)に
ごたまんと並べていた。朝な夕なにチョキチョキと葉をつまん
でいた。また時として枝を
いじめていた。(形を作るためにアルミ線で枝を巻き
つけ自分の好きなような形をつくること)
何せ親父から言わせると昔胃潰瘍を
患い、生きるか死ぬかの時、働けず、家族の食い
ぶちがなくても同巻きには
しっかりと盆栽を買う金を持っていたらしい。
まさに経済からの自由を実践して
いた。

 次にコレクターとしての対象は、盆栽は除き、古銭集めにひょうたん集め。

酒を入れるわけでもないのに何でひょうたんか?生きてるときに聞いておけばよかった。
古銭は丸い銅製のコインで真ん中に四角い窓の開いた和同なんとやら。

 本業は建具屋の丁稚から始まったたたきあげ職人。鋸、かんな、ノミの類は数知れず。
今では息子(僕のおやじ)の日曜大工キットとなっている。 

今でも彼と作ったバックローディングホーンのスピーカボックスは僕の宝物だ。
厚さ20mmの合板だが、一回の鋸で直角、直線に切り落とした。まさに神業だった。
またどうしてもまねのできないのが、かんな研ぎ。素人がやると、丸く研がれかんなの
機能がだめになる。仕上げの様子は研石そのものを研いで刃を研ぐ。

 そうそう国会中継の時に首相演説する後ろの衝立の彫刻も彼が参画していたそうだ。

修復の際にじいちゃんを訪ね目黒のちっちゃな家まで官庁の人が来たそうだ。
浅草へは良く連れて行ってもらった。昼は天ぷらそばと鰻どんに決まっていた。

 多分に盆栽目当てであり、孫をダシに使っていたのだろう。もともと信州生まれの彼。
よくばあちゃん(彼の連れ合いの甲子枝ばあちゃん)が「信州信濃の新そばよりも
わたしゃ清秋さんの側がいい」と言っていた。そば好きであった。ついでに思い出した。
柳川なべも好きだった。「どぜう」とのれんを掲げた店が浅草にあるが、多分
知っていた
だろう。

 そんな清秋じいちゃんも僕が丁度結婚する一ヶ月前に倒れた。葬式と結婚式が同時に
なるかと気になった。血の気が多い割にはヒ臓が悪かったようだ。約一年、床に臥せっ
いたが、曾孫を見て3ヶ月程過ぎた昭和54年の冬にさよならをした。喧嘩ばっかり
して
いた甲子枝ばあちゃんも、丁度3ヶ月後に後を追っていった。今はじいちゃんが
自分で
作った仏壇に二人仲良く並んで収まっている。
  

  甲子枝ばあちゃんへ